脂肪燃焼団のおふとりさまですが相席よろしいですか?

脂肪燃焼団のメンバーが日々思ったこと、食べたものなど。

暗殺教室、今さら読んだんで感想!

 

暗殺教室 21 (ジャンプコミックス)

暗殺教室 21 (ジャンプコミックス)

 

 

 

 「殺す」という大変物騒で、非日常的で、口に出すのもためらわれる、破壊力を持った言葉。それをあえて物語の中心に据えるという、危険な魅力にチャレンジした快作「暗殺教室」。
 なずさんに読め読め言われて、まとめ読み派の自分としては、ずーっと佳境だったこの作品、いつ手をつけて良いものか二の足を踏んでおりましたが、完結したということで満を持して挑戦。

 第一印象は「何このマンガ、炎上狙いかな?」とも思いましたが、読了してみれば本当に素晴らしい、こみ上げてくるものがある作品でした。


 特異なマンガだなと思うのは、物語「そのもの」にまったく不安が訪れないこと。
週刊連載だと、なんかダレちゃったな、最近イマイチだよ、とか、このあと(悪い意味で)どうなるんだろう、谷場が生まれてしまうものですが、そういうのは全くなし。
むしろ、そろそろあのキャラのアレ、片付いてほしいな……あのキャラのあの感情、そろそろ爆発するんじゃないの……→ああやっぱり、みたいな、狙いすましたようないい展開。最初から最後まで、抜け目ないお話運びで没頭させられました。
さすが、色々言われるものの、日本一の少年誌です。傑作を出してきます。


 それから特長的だったのが「埋没するキャラクターが誰もいない」。
クラスメイト全員に出番があり、役割があり、使命がある。
主役脇役問わず、互いにリスペクトがある。
タイトルからしてこれは「教室」の話ですからね。一部のキャラクターが話をけん引するならそれは「教室」じゃない。そういう意図があったのでしょうか。
とにかく個々のキャラクターの粒揃いの魅力がたまりませんでした。


 さらに魅力は面白さだけじゃなく、そのテーマにあります。
読み進めていくと、いちいちエキセントリックな題材、味付けの濃いギャグ、強烈な時事ネタに紛れた、この物語の奥底のテーマが見えてきます。


「殺す」ということ。


「殺す」=命を奪い取る、という行為は、すべての読者に経験のないこと(そう願います)。

だから当然「暗殺」という題材が、1000万部を越えるこの作品のファンを生み出しているわけではありません。

描いているのは「命の奪い合い」じゃないんですよね。

それよりもずっと濃く深く描かれている、キャラクターが「殺し続けている」行為。


それは、命を絶つ「殺す」ではなく。


「勢いを止める」「さまたげる」「封じる」=「押し『殺す』」の方。


これが、僕らの共感を呼びます。

これこそ、おそらくこの物語の真のテーマであり、人生にとって普遍のテーマです。

親に、境遇に、肩書きに、過去に、環境に「殺され」続けるキャラクターたちの、悩み苦しみ。
「殺し合い」の真っ只中にいる、少年青年、あるいは「殺し合い」を経て、生き残って大人になったすべての読者に、これが突き刺さらないわけがない。
過激な展開、強烈なギャグに巧みにカモフラージュされながら、着実にまっすぐ育っていく生徒たち。
エキセントリックな外皮に、ヒューマニスティックな中身。
その構造はまさに「殺せんせー」のキャラクターメイキング、そのもの。
作品のテーマは、あらゆる部分において徹底的に描き尽くされていました。


「『殺されても』生きよう」。


20巻のせんせーからのメッセージが、大好きです。
ありきたりな学園ドラマなら鼻で笑って読み飛ばすところでしょうが、実際に命のやり取りを経験した相手から「そう」言われれば、そりゃ、響くよ。
そこに至るまでに描かれてきた生徒たちの「生還」をあたたかく祝福する、せんせーの言葉に、涙が止まりません。

あまりにも突飛でひねくれたストーリーから、あまりにも純粋まっすぐな着地。

気色悪い作品でしたが、でもまあ、きっとそう終わるだろうね、と思わせてしまうのは、作者のバツグンの構成力、筆力のタマモノと言えるでしょう。
本当に最初から最後まで面白く読めました。


自信を持って人にお勧めできる一作です。



まあ、僕がなずさんに勧めてもらったんだけどね。

シン・ゴジラ感想【本筋のネタバレ無し】

トピック「シン・ゴジラ」について

 
 これです。これ。
コレがゴジラ映画です。いや、コレが「映画」です。
久しぶりに骨太の邦画を観ました。
「大人の映画」を観たという印象です。


 いちいち主人公が口頭で心境を説明しない。叫ばない、泣かない。
ハリウッドではありえない、邦画もとうに忘れてしまった作劇がここにありました。
腰の据わらない政治家、笑うしかないくらいクソ長いテロップ、国会周辺のアレ、コピー機につぐコピー機、等々、マンガチックに赤裸々に描かれる「日本」。
各キャラクターが使用している、各省庁からのリースのパソコンが富士通だったりパナソニックだったりするのが細やかに「縦割り」感を演出しており、個人的にグッと来ました。
こうしたアイロニーすべてがツッコミナシの「ボケっ放し」。
コレに加えて、あまりに精緻に描かれる「大ウソ」ゴジラというファンタジーが、また目まぐるしく描かれる。
膨大に繰り出されるこれら情報の奔流を、ネットを排した映画館という非日常空間でひとつひとつ、頭の中で咀嚼しかなければならない。実に映画らしい映画であり、ましてやタクトを振るうのは、このジャンルで言えば唯一無二の庵野秀明。上映中は、とにかく疲弊させられます。しかし「いいぞ、どんどん来い!!」と、ときめきます。製作者から、大人の視聴者として、自分のリテラシーを信じられている。説明過多の映画に慣れきって、久しくなかった感覚です。心地よい疲労です。脳内物質が湧き出るのを感じます。
冒頭15分から全く歩み寄らず、早々に説明を投げちゃってるのが潔い。
一緒に見に行ったなずさんはやっぱり置き去り感を抱いたそうですが、ただアレだよ。「室井さァん!どうして人口密集地域でミサイルの許可が降りないんですかァ!!国の存亡がかかってるんですよォ、日本に生まれて来るんじゃなかったなァ!!
いちいちそういう脂っこいシーンが挟まれない、というのは、やはり今回のテーマ「ニッポン対ゴジラ」を地で行くものでありました。思い切った映画作りに感謝です。



 ゴジラの描写に文句は何一つありません。
今作のゴジラは僕の望んだゴジラそのものです。
僕にとって、ゴジラ映画のゴジラ


「こりゃ、手に負えなさそうだ」


と、思わせてくれるかどうかが大事です。
残念ながら、2014ゴジラは端々に、


「……手に負えそうじゃん」


と、思わされました。というか、完全に、思わせてました。イケメンでした。メッチャ粗暴に見えて、メッチャ人類寄りの行動してました。踏み潰す以外で人殺さないし。最終的に「怪獣王は救世主か?!」言ってましたもんね。ハリウッド版ゴジラ
アレは完全に、少女マンガのノリです。「アンタ……ゴジラ、だっけ?見なおしたよ、結構…優しいとこあんじゃん」みたいな。


 今作のゴジラは、観れば分かります。絶対に分かり合えない。
従来ゴジラの生態に「とある設定」が加えられていたおかげで、一層「話の通じなさ」が増しました。素晴らしい改良だったと思います。


 都市破壊も、完璧でしたね。
最高のミニチュア破壊+庵野ビーム。失禁モノです。最高のごちそうです。本当に美しいビル破壊でした。分かっていらっしゃる。やはりゴジラ映画といえば、主演:ゴジラ、助演:高層ビル、友情出演:一瞬映り込む架空の企業の看板です。
 今回は郊外→都心の描かれ方がスゴく良かったなあ。
昭和の名残のある、平屋建てや2階建て日本家屋の街・蒲田や鎌倉から、徐々に無機質な高層ビル群に突入してくるところとか。多摩川を境にした日本の描かれ方が非常に「分かりる」。まさに電車から見る東京都市圏のイメージにドンピシャ。
ぜひぜひ、海外にも売り込んでほしいなと思います。日本の風景、風俗、日本人の特性がつぶさに描かれた秀作という意味でも。


 まったく、抜かりのない映画でした。
 僕は文句なしの100点です。


 ところで、某山梨県の某所での初日・ラス2の回。
僕となずさんの隣で見ていて、帰り際にぼそっと、


「何これ、結局エヴァじゃん」


 と呟いたお兄さん方2名。
あなた方に言いたい。


僕はあなた方を責めない。無知は罪じゃない。


トップをねらえ!っていう、面白いアニメがあるから、それ観て出直して来なさい。

オタクション・レジェンドでした!!

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 というわけで、レジェンドでした。
 今回はトリなんで、ドカンドカン大砲級のヤツを打ち込もうかと思ってたんですが、クルーのみんなが良い感じに攻めて下さったので、来てくれた人を見つつ、リクエストに答えつつ、自分らの歴史も混ぜつつ。90年代を代表するビーイングキングレコードに始まり、小室サウンドを経由しつつ、エイベックスになだれていく、といった、90年後半~00年代前半をパッケージでまとめてみました。
 今回は50分預かりましたが、50分あると、やはり10年分の音楽を駆け抜けられますね。燃焼団は5歳違いのコンビなのですが、お互いの「青春」をうまいこと閉じ込められた気がします。
 また、「LOVE TOGETHER」をはじめ、いくつかリクエスト頂いていた曲も華を添えてくれました。この場を借りまして、ありがとうございました。

 

 途中「RAVE→フェアリーテイル」という、あまりニーズのなさそうな、でも僕にとってはちょっとこだわりがある1曲をやらせて頂きました。
 これ、東京の人が聞くのと、山梨の人が聞くのでは、大きく印象が違う1曲です。

というのも。


 今はそんな悩み皆無でしょうが、はるか昔はね、山梨だけ見られない番組ってのがあったんですよ。
原因はTBS系列の、テレビ山梨
テレビ山梨って、TBSの夕方アニメ、全スルーだったんです
ネットしなかったんですよ。静岡でもネットされてるんですよ。「あの」静岡でも。
アキハバラ電脳組、魔術師オーフェンサクラ大戦逮捕しちゃうぞ……
これら、90年代を彩る代表作、全部見られなかったんですよ!
逮捕しちゃうぞ」なんか、静岡・長野はネットしてるのに、テレビ山梨だけがスルー!すっぽり見られなかったんですよ!
サクラ大戦」に至っては、台湾もネットされていたのに、山梨は、ナシ!
どう思います??御伽ねこむさん!!

 そんなUTYが「そろそろネットした方がイイんじゃないか」と方針転換したのが「RAVE」。
これをテレビ山梨は、どういうわけか本放送から10日遅れの火曜深夜1時半から放送するようになりました
たった100キロしか違わないのに10日遅れ!
ああ田舎住まいはイヤだ!大都市に住みたい!大都市に就職したい!そう願ったものです(長男のため、叶わず。)
 ちなみにその後もUTYはマクロスF」を30週遅れで放送するという相変わらずの大チョンボを犯したりしてます。テレビで見るより、JOYSOUNDの映像で見る方が先。ダメだ田舎やっぱり、田舎ダメだ……!



 そんなビターな思い出とともに、送らせていただきました。
米倉千尋「Butterfly kiss」。名曲中の名曲です。
歌うは「嵐の中で輝いて」米倉千尋さん。作曲は鵜島仁文さん。Gガンダムの主題歌「FLYING IN THE SKY」はもとより、近年ではAKB48にも楽曲提供している、名シンガーソングライターです。
このふたり、名コンビなんです。一番有名なのは封神演義「WILL」ですが、これもまったく引けを取らない、素晴らしい1曲。
「YOU&I」と「悠遠の愛」の韻を踏むエモい歌詞も、大人っぽくて大好きな曲でした。
「WILL」でも良かったんですが、今回はゆゆさんが「ジャンプ」をしっかりまとめてくれたので「マガジン」もイイだろうということで。
 1つ前のDIVER#2100から金田一、という、なかなか洒落たアイデアをなずさんがくれたというのもあって、じゃあ、ってな感じで思い出したんです。そう言えば真島ヒロ、山梨ではまともにネットされなかったよなあ…イイ曲、イイ作品だったのになあ…って。
 
 それから、今回どうしてもやりたかったのが「ボンバーマン」。
僕もなずもゲーマーではないのですが、共通してやりこんだ思い出のタイトルがボンバーマンなんですよね。
だから、ボーボボからのボンバーヘッドメドレーをやろうってずっと決めてて、さあ、肝心のボンバーマンから1曲!って言ったときに

「ジェッターズ」
「爆外伝」

と、割れたのが印象深かったですね。
しかも、最終的にどちらも譲らず、2曲とも採用。ワガママなセットリストになりました。
 残念ながらハドソンはもうこの世にはなく、すっかり尻すぼみになってしまったボンバーマンですが、イントロの「ちゅどーん!」を聴くだけでいつでも「あの頃」になれる。

 やっぱ、音楽っていいっすね。
オタクション・レジェンド、また企画したいです。

オタクションVol.02はオタクション・レジェンド!

 

 オタクションVol.02「オタクション・レジェンド」の発表をさせていただきました。


Vol.01は来場者100人越え。
当然一生懸命取り組みましたけど、やっぱりイベントって生き物みたいなモンですよね。
自分たちの描いてた形と、いくつか違ってしまいました。


まずは「思ったより大きくなったなー」って所です。
みなさまのご厚意、応援がありまして、1回目ながら、あのように盛大に行うことが出来ました。
冗談抜きで、僕の人生におけるちょっとした事件です。
僕の結婚披露宴の「新郎の半生を紹介するコーナー」で確実に使わせていただきます。

披露宴の予定はありませんが。


ただ、主催者の自分たちに力がなかったせいで、オープン・クローズ時に沢山の迷惑をかけてしまったことは、今でも悔やんでおります。
あと、異常に暗いフロアね!ライブハウスってこんなに暗いのか!よそさまのイベントって、見えないトコですっごい配慮してんだなあ!と、主催してみて始めて分かりました。
その他、多々、お見苦しいところありました。そのへんは大体、主催のせいです。

力不足を痛感いたしました。

ホントはもっともっと、余裕を持って、足を運んでくれたみなさんを受け止めたい。
おひとりおひとりに感謝を伝えたい、と思っていました。


で、あともうひとつ大きく予想と違っていたのが。

自分の集めたクルーに、あの会場を受け止める力があった、ということ。
ごめんなさい、かなり侮ってました。
あれだけのフロアを引き受けたことは……僕だって2回しかありませんから、ほとんどのクルーが初めてでしょう。
初舞台があのフロアだったクルーも2人います。
それでもみんな、素晴らしい音楽を繰り広げてくれました。
ホントすごい。すごいよ。
彼らのことを、もっと広く、深く、多くの人に知ってもらいたい。


おひとりおひとりに感謝を伝えたい。
クルーのかっこよさを知ってもらいたい。

そんな気持ちから、Vol.02を企画させていただきました。

オタクション・レジェンドは、過去の名曲特集でもあるし、クルーの音楽の「キモ」に迫る回でもあります。


クルーはどんな作品に出会って、どんな音楽を好きになってきたのか?

そんなコトが分かると、これからまた一層、彼らが身近な存在になるだろう、彼らの音楽が楽しくなるだろう、という趣旨の企画です。


オタクションは1回目から、わーっと大きなお祭りになりました。

終わったあと、写真を見ました。実に皆さん、楽しそうな笑顔でした。

あの日がステキな一日になったのなら、本当に幸せです。


でも、僕の実感からするとまだまだこれからなんです。

オタクションクルーは、もっと成長する。もっと良くなる。


もっと、みなさんとクルーの距離を近くできる。

だから、これからもっともっと楽しくなるはず。

あと、環境ももっと明るくしたり見やすくしたり…快適にします。


それらを経て、オタクションをもっと身近で面白い場所にして、お楽しみ頂きたいと思います。
まずは第2回をお楽しみください。
クルーのレジェンド=思い出は、きっとみなさんの心を揺さぶるはずです。

 

オタクションVol.01感想。@ヘロウ編

 色々あってイベントというモノをやることになりましたが、僕は大反対でした。
山梨には知識に、経験にすぐれた、素晴らしい先輩がいっぱいいます。
その人たちを差し置いて、自分たちが親分になる、というのにすごくためらいがありました。
コミュ力も高くない。人に慕われる方じゃないし。道具もない。ノウハウもない。

そして何より、トリをやりたくない。

 そうは言っても、なずさんは熱心で、色んな夢があって、それに少しは共感したので、主催者の一人として取り組むことにしました。

 取り組んでみると、本当に沢山の方が応援してくれることに気づかされました。

 僕らに代わってフライヤーを配ってくれた人、友達に今日の事を紹介してくれた人、リクエストをくれた人、RTのボタンを1回でもピッと押してくれた人、至らないところを指摘してくれた人、イベント中、色んな不便に我慢してくれた人、譲り合ってくれた人。

本当に本当にありがとうございます。

できっこないと思ってましたが、出来てビックリしてます。
自分の能力にビックリさせられたわけじゃありません。

みなさんの下さった沢山の贈り物に、ビックリしています。

アニソンの力に、ビックリしています。感謝しています。


それから、クルーのみんなにも最大限の感謝を伝えたい。

イベント中、あんでぃー君の「HIT IN THE USA」が最高のタイミングで流れたとき。
思わず肩をポンポン叩いてしまいました。
ZiLのふたりが「飛んで跳ねたらダメ!」って言ってるのに、跳ねまくっているとき。
注意するのも忘れて、魅入ってしまいました。
深月さんの荒ぶるMCも、かっしー君のクールなプレイに遊び心を潜ませる茶目っ気も、雷豹君、ゆゆさんの、経験不足を補って余りある、愛情を込めたプレイも、みんな大好きです。
昨日はずーっと、ボーッとしてました。
このイベントの出演者は、いい音楽をするなあ、って。
自分自身が、すっかりオタクションのファンになってしまいました。

色んな目標、目指したい場作り…、本当に色んな思いがあって、クルーのみなさんには、メチャクチャきびしいオーダーを出しました。
信越一窮屈なイベントだったと思います。
でも、クルーには見事に応えていただきました。

いい音楽を聴かせていただきました。ありがとう。

しかし、何をおいても、貴重なお休みを割いてお越しいただきましたみなさま。
感謝申し上げます。
どんな音楽を作り出しても、受け止める方がいなければ始まりません。

ご来場いただき、ありがとうございました。













あ、
なんか、めでたしめでたしみたいになっちゃったけど、7月17日(日)にVol.02やります。
また、楽しい時間をいっしょに過ごしましょう。

映画「キャプテンアメリカ/シビル・ウォー」で自分がザブンと沼に落ちる音がした


エイジオブウルトロンで「もう、このシリーズには付き合いきれない」と見限った人に、

 

 


絶対におススメしない逸品です。

 

 

 

前作エイジオブウルトロンは「THE・ハリウッド映画」「THE・アメリカ病映画」という印象でした。
世界平和を標榜するものの、たかだか数人のポリシーがちっともまとまらないクソチーム。
スーパーパワーと繊細な心のアンバランスに苦しまされるメンバー。
それでも任務に向かうものの、世間の反応は否が多い賛否両論。
しかも「分かりやすい悪の組織」であるところのヒドラはすでに青息吐息。
世界の脅威ではありません。
劇中に現れる互角以上の力を持った敵は「自らの弱さ」そして「強さ」が生み出したモンスター、という痛烈に皮肉な状況。
スーパーヒーローとはいえ、大らかではいられない。
スーパーパワーを使うことが仕事なのではなく、刀の抜き方、納め方にこそ神経をすり減らされる。
「スーパーヒーロー=落日のアメリカ」としての痛烈な描写が印象に残る作品でした。

もちろん、重苦しい描写とは裏腹に、そのギャップとしての激しく見ごたえのある戦闘は、たいへん魅力的。
物語の醍醐味は「緊張と緩和」ですが、いかにも痛快SF映画として楽しめた「緩和」のアイアンマンから、だんだんと「緊張」に比重が置かれてきた。
ここからきっと、シリーズはまた大きく「緊張」にうねり、最後の最後、ドデカイ爽快感が待っていることも明らか。

そのための、ターニングポイントとしての「エイジオブウルトロン」。

分かります。それは分かります。


だからこそ、世間的な評判がイマイチなのも十分共感できます。
作品の時代背景、マーベルシリーズのターニングポイント、これから来るクライマックスのための、助走の一本…そういう視点を排除し、1本の娯楽作品として見れば、納得出来るシロモノとは言いがたい。
結局2時間以上、あいつらが失敗する→尻拭いするまでの壮大なマッチポンプに付き合わされただけじゃないか」という悪印象を抱かれて、当然。

物語のほとんどを仲間割れに費やし、巨大な敵を前にいったん団結するラストバトル、という、ドンベタかつ手垢にまみれきった展開。
しかも、そのバトルすら、ホークアイがなぜか最前線で飛び回り、ありえない痛恨のミス。「?」マークの来場者全員サービス。あの据わりの悪いクライマックス。
なんか、モヤモヤする映画に付き合わされたな…という感想を抱く人がいて当然の作品でした。

 


さて、その続編である今回のシビルウォー。

 

 

最悪で、最高です。

 

前作で起こした顛末を、全面的に引き受けた上での続編。
日本のこの手のヒーロー・特撮映画では「まあその辺は観る方でチューニングしてくださいと言わんばかりの関係性リセット・経験値リセットが行われたりしますが(それもまた、オツなのですが)全くそういうのはナシ。
2本ぶっ続けで観ても、何の破綻も感じないんじゃないでしょうか。
キャップは今作も融通のきかない頑固ジジイだし、スタークは相変わらずスーパーパワーに翻弄される毎日。
ホークアイは気まぐれで、クソ弱いくせに肉弾戦が大好きです。
ヴィジョンはクソあやふやで、一挙手一投足、いちいちカンに障ります。
アントマンは相変わらず物語とクソチューニングが合ってません。
ファルコンは相変わらずキャップ命で、中の人の声も相変わらずクソ浮いています。
ウィドウは相変わらずクソ腹立ちますけど、両脚で組み付いて相手の首を折る攻撃、アレ、クソ喰らってみたいです。


エイジオブウルトロンで「こんなヤツらに世界の存亡がかかっていると思うと心底ウンザリする」と思わせてくれた各キャラクターの成分が、重厚なストーリーの中で回を重ねることで、いい感じで煮詰められ、純度が上がっている。
前回「もうこのシリーズはイイや」と思った人間がうっかり見に行くと、やっぱり心底ウンザリさせられるでしょう。

しかし、前回「いいよ、最後まで付き合うよ」と思った人間にとっては、

 

間違いないです。ザブンと行きます。

 

沼にザブンと。

 

エイジオブウルトロン~シビルウォーの2作で、キャラクターはグッと立ち上がりました。
ヒーローたちは、一作目からずっと鑑賞者の頭をよぎり続けてきた問題に、いよいよ直面させられます。


それはもう、笑っちまうほど直面させられます。

 

お前らが居ると、かえって迷惑なんですけど」という。

 


冒頭20分で「おっ、観ている俺たちがずっと思っていた疑問に直面しているぞ」となる。

ヒーローたちが、強大な敵でなく、ある意味もっと強大な。
「他ならぬ『俺』の疑問と戦っている」という、インタラクティブ感。

その境地へ、怒涛のように飛び込ませてくれる極上の導入部(スカーレットウィッチは犠牲になったのだ…)。

しかも、ただそれがこの物語の入口であるだけでなく「新ヒーロー」誕生の契機としての意味も持つという、脚本の妙!

陰鬱なエイジオブウルトロンにめげず、足を運んでくれたファンのみなさんに、これほどグッと来る展開はないでしょう。

さらに、そのインタラクティブ感にのめり込みつつ、とあるキャラクターの心情に身を委ねていくと、次第にタイトルの「シビルウォー」とは何を指すのか、という問題を突きつけられることになります。


直訳すれば内乱、内戦、ということで、劇中描かれた「ド派手な内輪もめ」をズバリ指す語のようにも思えます。


しかし、それだけなのか。


「誰」と「誰」の内乱なのか?
なぜ、ゾッとするような強大な敵が現れるわけでなく、今作は「シビルウォー」なのか。


そして、気づかされます。


スーパーパワーを持った超人の活劇ではなく、これが(陳腐ではあれど)濃厚なヒューマニズムの物語なのだと。


アイアンマンも、キャプテンアメリカも、一作目は「ほーん、ま、がんばってよ」という感じだった。


しかし、この作品で自らの存在意義と直面した彼らからは、かつての作品とは違い、熱い血の脈動を感じます。
その共感は、薄っぺらなスーパーヒーローとしてではなく、まさに「Civilian」である僕自身と地続きのモノ。
ここからはもう、応援しないわけにいかない。そんな気にさせられます。


そりゃ、ディズニー発ハリウッドムービーだからさ。
驚くほどチープな結末が待っているかもしれない。
そうならざるを得ない色ーーーーーんな事情もあることでしょう。
スパイダーボーイがちょっと遅れて集合してきたみたいにね!


しかしそんな「見え透いた結末」とは別に、本作は最高に見応えのある作品です。
前作の鬱屈した展開にウンザリした人は、もう今さらこのシリーズに帰って来られないでしょう。
しかし、僕は非常~~に面白かった。

ここまでの彼らの「葛藤」や「変節」を、全作おさらいしたいくらいにどっぷりとハマれました。
肩までつかりましたよ。マーベルシネマティックユニバース。そりゃもう、どっぷりとね。

タイムテーブルとクルーと、あふれる期待の話。

 オタクションクルーの皆さんに当日のタイムテーブルを伝えました。
野球でいう「打順」駅伝でいう「走順」です。
主催者ということで、意見も聞かずにすべて決めました。
申しわけないとは思うんですが、全員の意見を聞き始めると、絶対に決まらないんです。タイムテーブルって。まあ、意見というより、美しいトリの譲り合いなんですけどね。日本人だからね。

せめてもの誠意ですが、相当悩んで決めました。
もちろん、メンバー集めの段階から、だいたい順番は決めてます。「こんな風に」っていうオーダーも含めて。
その自分たちの中の頭の中の「画」と「情熱」をキチンと、1滴もこぼさず伝えなきゃ、ってところにこだわりました。
仲良く楽しくやりたい。とはいえ、まあお好きにやってくんねえ、という、なぁなぁのイベントにしたくない。まあ、そういうのも楽しいけど、フリーイベントじゃないしね。それじゃ集まってくれる人に申しわけないし。
みんなの個性を踏まえて、僕らはこう思うよって。
この順番、この世界観、この演出でどうだい、と。
プレイヤー同士として、リスペクトを込めた打ち合わせにしたつもりです。


 しかしまあ、終わってみると、ホントにイイ意味で「思ったようにはいかないなあ」という印象でした。
 こっちが色々とプランを示したものの、話し出してみれば、みなさんも既にやりたいプランが固まっている様子。
おまけに「こんなセットリストでどうか」と見せてくれたクルーの出してきたものは、僕のイメージの遥か斜め上を行くものでした。


「えっ、ホントにこんな感じなの?!」って、思いましたよ。そりゃね。
「もう少しマイルドになりません?」って、言いかけましたよ。実際。


でも、まあ、こういうコトでしょう。
絶対に僕の思うようにはいかないんです。
だって、他ならぬ自分自身が、今まで何人ものオーガナイザーの期待を裏切り、リハーサルで猫をかぶり、共演者・ゲストにすらネタを見せず、イビツな音楽で我を通してきたんですから。

DJにオーダーなんて「はじめてのおつかい」みたいなモンです。
どんな指示をしようと、僕らの言うことを聞くのはせいぜい「経由地」としてだけ。「ねぎとにんじんを買ってきてね」は何とか聞いてもらっても、帰ってきたら、ホクホク笑顔で両手にジャラジャラ妖怪メダルを持ってたりするんですよ。DJって輩はね。
わが身を振り返れば、重々承知なんです。ぐじぐじと膨大なオーダーが書かれた指示書も渡しましたけど、あんなもんは、鼻をかむためにあるんですw
それでイイんです。
「こいつ、読めないわ」って所がなきゃね、末永く続かないですよ。


 しかし、破られると分かっているなら、何で、わざわざ平日の夜に呼び出して打ち合わせを設けたのか?
まあそれは、僕らからの、あるいはお客さんからの「期待」をキチンと、体感してもらいたかったんです。
クルーのみなさんは今も、当日をどう楽しむか、楽しませるか、一生懸命考えていることと思います。
考えて考え抜いて、思うようにいかず凹むこともある。
そんなとき、
「何でこんな俺が呼ばれたんだろう?」
「俺、何すればいいんだろう?」という所まで立ち戻ることもあると思うんです。自分らがそうだから。

そういう悩みは、声をかけた人間が担わなきゃいけない。

たとえ退屈な時間になろうと「僕もお客さんも、あなたに期待をしているよ!」ということをあらかじめ伝えておきたかったんです。

DJは当日を迎えるまで、本当に孤独な時間が長い。

クサクサした時、どよーんとした時に「まあそうは言っても、お客さんも、オーガナイザーも待っててくれるようだしなぁ、あんな鼻紙まで用意して…」と、踏ん張っていただけたら、少しは救われるかなって思っているんです。
みんな、よろしくね。
5月21日を楽しみにしています。