脂肪燃焼団のおふとりさまですが相席よろしいですか?

脂肪燃焼団のメンバーが日々思ったこと、食べたものなど。

【ネタバレ有】M-1、今年も面白かった。

 相方なずが仕事で、話す相手がいないので、ブログに書く。

 

M-1グランプリ、毎年毎年面白すぎるよ。

まあそうは言っても吉本の大会なんでしょ、なんてこと、言われてます。
しかも今回の最終決戦は、初ファイナルVSラストイヤーVSシルバーコレクターなんて顔ぶれに仕上がりまして、全員海外ドラマ並みに重いヤツ背負ってて、ちょっと出来すぎやしませんかと思ってます。普通に思います。
でも、結果は納得。


ジャルジャル
僕、ジャルジャルハマんないけど、最終決戦くらいに「薄めて」くれれば全然面白いです。優勝もあるかなと思った。
多分ジャルジャルサイドからすると、僕って「めちゃくちゃカンの悪い客」でしょうね。「俺らは国名分けゲームくらいブッ飛ばしたいのに、キミみたいなカンの悪いのがいるからこっちのネタくらいまでスピードを落としてあげなきゃいけないんだよ」って。ジャルジャルファンからしても「なんでここまで『薄めないと』テレビじゃ分からないのかなあ!」って、思ってらっしゃるんでしょうね。ごめんなさい。ファイナルのやつだと、どうもついていけない。
 正直、なんで最終3組残ったのかと思った。いわゆる、芸人さんが言う「ウラ入る」(一周回って面白い)ってやつなのかな?と思ったけど、2本目見て納得。スミマセンでした。「僕が求めるような漫才のテンポ」は楽勝で出来るんですね。その上で、プロ同士にしかわからないようなすごい駆け引きがあるんでしょうね。分かんなくてごめんなさいという感じ。でも、去年のピンポンパンゲームと大きく違うかな?

 


和牛。
水田クズ、川西女役。やっぱりそれしかないのか…という感じ。面白いよ…。川西さん、どんどんレベルアップしてるよ…。でも、貫き通すしかない悲哀を感じる…。

最終決戦に行けないレベルではない。もう、絶対若手漫才師3位以内。
「うまい」なら、ぶっちぎりでうまいと思う。
しかし、いかんせん、大体スジがどうなるか分かる。

結果発表前の9時55分。
僕はそうですし、日本中の多くの人がテレビの前でこう思ったと思います。

「和牛でもいいなあ」。

 日本一有名なお笑い番組でパターンを晒されてしまっているというのはホントに辛いですよねえ。笑い飯の「鳥人」くらい伝説級のブッ飛びがないと、満場一致の優勝はできないんだろうなあ、と思って見ています。
しかし……ミキなんかは今回、去年のイカれた弟とまっとうな兄を少し修正してきたし、スーパーマラドーナは実況中継漫才をやめて漫才コントに変えてきたものの、うーーん……変えれば……無条件に良いのかと言われれば……。

オンリーワンのスタイルがあるということは本当に尊い。すごいこと。
でも、その美しい予定調和とお笑いは、共存し難いですなあ。


霜降り明星
めっちゃ面白かった。ここ数年の優勝者では一番好き。
メリハリとか、みやすさとか、そういうのは和牛のほうが上だけども、なんと言っても、ボケのせいやさんが別格。ホントに素晴らしい。

 毎年恒例の「最終結果は、CMのあとで~す」とかいう、いかにも関西制作の番組っぽいくだりがあるけども、その時の「コケ方」が美しすぎた。
あとの2組はもうガッチガチで、いや、ガッチガチというボケなのかもしれないけど、そういうテクニカルなことは一切なし。ひとりだけブッチギリで「やりきって」いた姿を見て、今年はもうどうしようもないな、と思いました。
もし僕が吉本のお笑いの学校に行っていて、あんな美しいコケ方をするやつがいたら、何が何でもコンビを組ませてもらったでしょう。
和牛は漫才師。せいやさんはコメディアン。なんというか、生き物として違う感じ。

ツッコミのスプーンの人も、なかなか憎たらしい。ツッコミでボケを上乗せする、関東らしいスタイルだけど、ボケの奇行をキビキビと捌くスタイルはスーパーマラドーナ。おもしろフレーズを放り込む間は東京ホテイソン。人の良い所を着実にモノにしてるという印象(印象です。的外れだったらスミマセンが)。
この「ノッてる芸人の良いやつを全部組み合わせて、笑い所をとにかく増やしつつ、ここぞというときにおもしろフレーズを放り込んで高得点をもぎ取るスタイル」。
パクってるとかそういう上っ面のことじゃなく、この、考えに考え尽くした者同士が、お互いガンガンインスパイアしまくって、どんどんイノベーションしてしまう。これぞM-1という感じで僕は好き。
だから、点数は振るわなかったけど、ゆにばーすの「突然スタイルチェンジ」スクリーモ漫才も良かったです。去年は、うわ、南海キャンディーズの味濃いめみたいなヤツ出てきたな…と思ったけど、今年は突き抜けた感じした。ファンになりそう。
その反面、ぎゃろっぷ、見取り図みたいなクラシックスタイルがファイナル残されたのは分かる。見取り図は「あたおか」一本勝負では流石に無茶だったけれども…。


トム・ブラウン??
今日イチ。


しかしながら、とにかく今年の一番の見所は、クラシックオブクラシック・早口がなり漫才にわかりやすく高得点を投じてしまう上沼恵美子さんに対して、とにかく奇天烈なことをし始めれば高得点をくれる立川志らくとかいうかすれ声おじさんを投入した結果、見事均衡が保たれ、生活笑百科レベルでまあるく収まった審査員席ですな。

キャスティングした人、天才だと思う…。

アニソンDJになろう!feat.詩月かりん に遊びに行ったら、新たなDJエンタメが生まれかけていた

 来日中の香港の仲間に会いたくて……アニソンディスコの今年最後の本編を泣く泣く見送らせていただきました。

ペリスコープで可能な限り見ていたのですが……
いやー……やっぱり現地でなきゃダメだなあ。
いつもの興奮を味わいたかった……。フロアのみなさんにも会いたかった……。


と、ものすごく飢えていたところに、

 

 

 

 

 えっ!?DJ聴けるし、タネも聞けるの!?
そりゃいいなと思い、万障繰り合わせて足を運んでみました。


ところで鮫島さんには「いつもブログ読んでいる」と言われちゃって、なんだか力が入りますなあ。
ちなみに僕は鮫島さんのブログ、たまにしか読んでいません。すみません。

先日、ここに書いた内容が何となくカブったのも、別に寄せているわけではなくマジの偶然です。あとでなずに言われて、えー!俺イタいファンみたいになっちゃってんじゃん……と、メチャ恥ずかしい思いをしました。
バツが悪いので、この記事のあとはしばらく地元の美味しいパンケーキの店とかについて書こうかなと思っています。

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色々書きたいことがありますが、まずは銀星さんの初心者講習
これが、とても素晴らしい内容でした。
はじめはボンヤリと、生徒役の詩月さんが可愛らしく四苦八苦するところを眺めていたのですが、いざ銀星さんの講義パートになれば、単純な技術の話にとどまらない、僕のような5年目にもガツンと響く、あらゆる場面に通じる実践的な手口。質実剛健な心構えの伝授。
これは、効く!
鮫島さんのDJ目当てでしたが、それまでに十分入場料以上に楽しませてもらいました。
惜しみなく語られる内容に、気づけば前のめりです。


僕らも5年間、人並みに見て盗み、聞いて盗み。
楽しんでもらいたいのに、現場でトチり。
イデアは浮かぶのに、自分の技術で実現できず。
「日本のアニソンは繋ぎにくすぎてDJ出来なぁーい! !」と、渡辺謙ばりにキレまくったりしながら、いろいろ身につけてきた自分なりのテクニック。
ヤバい!俺は天才なんじゃなかろうか!世紀の大発見だ!と思ってみたり、こんな事していいのかな…ズルなんじゃないかな…と思っていた、自分のいくつかの技の数々がお話に出てきた際には、思わずニヤリとしてしまいました。
おお、大先輩も同じことで悩むんだ、僕らもなかなか的を射た努力をしてたんだ、と。


ただ、それと同時に「あれ?僕らが手探りで身につけてきた5年間の知識技術って、この講習会に来てれば一発で身につけられたんじゃ…」ということに気づき、これまた笑うしかないという。

僕らの5年間、銀星さんの20分。
「お前の一生、矢沢の2秒」以来の衝撃です。

 

東京の初心者さんはこのレベルから始まるのでしょうか。
やっぱ何事も最先端で勉強しなきゃダメですね。
勇気づけさせられたり、謙虚な気持ちにさせられたり。
自分よりはるかに卓越した方に教わる大切さを改めて学ばせて頂きました。
お話もぜーんぜん堅苦しいことはなく、ご自身の体験談があったり、マニアックな例え話があったり、実にユーモラス、かつ、サービス精神にあふれた語り口。

直接ご挨拶もさせて頂きましたが、惚れ申しました。

口幅ったい感想で誠に恐縮ですが、尊敬できるDJさんが増えてよかったです。
銀星さんがおっしゃった「良いDJさんだな」と感じさせるポイント、とても共感いたしました。目の前のシーンに照らすと、ものすごい逆風を感じますが、僕も「そういう」プレイヤーになりたいなと思いました。


出会いに感謝しております。


目当ての鮫島さんの語られたノウハウは、んー、なんでしょう。僕としては、


超絶薄っぺらい内容に見せかけた極意に見せかけた超絶薄っぺらい内容に見せかけた極意


という風に理解しました。

ま、どうでもいいです。好きだから!
アクセスフラッシュ出来たから、答えはなんでもいいです。


それにしても出色の面白さだったのは「前半で練習したDJの内容を、最後にお客様にもう一度通しでお披露目する」という、イベントのクライマックスですね。
タネがバレているものをもう一度見せられるという、奇天烈なパフォーマンス。

壮絶なドタバタぶり。

すみません。ゲラッゲラ笑ってしまいました。

誓って言うのですが、僕は「出来の悪さ」を笑っていたわけではありません。
さすがの僕も、人の未熟さを笑うほど人でなしではありません。


僕は、
「準備をバッチリ整えて、当事者もやる気十分なんだけど、ほんのちょっとした事から
少しずつ歯車が噛み合わなくなり、それを何とかしようと当事者に変な力が入ることによって、なお一層、事態が混沌を極めていく」というシチュエーションが、メチャメチャツボなんです。


例えるならほら、アレですよ、あの……


うーん、例えるのにこれ以上ないくらいピッタリな映画のタイトルがひとつ頭の中に
ポン!と浮かんでいるんですが、ちょっとダメだと思うので、


まるで三谷幸喜さんの映画を観ているようでした。


といったところにしておきます。

そういうのを狙ってやっているのかどうかは知りません。

勝手に僕が「アレっぽいな」と思って楽しんだだけかもしれませんし、多分そうなんですが、DJってのは、そういう面白さも盛り込めそうだな、まだまだいくらでも面白くなるな、と思わされました。


スーパープレイも面白い。
選曲の妙も面白い。
ただ必死、ってのも面白い。


僕らもがんばろう。学んだことをふんだんに注ぎ込んで、次は1月!
バッチバチに盛り上げたいステージがあるので、僕らも詩月さんのように、必死でやりたいと思います!

脂肪燃焼団、6年目にして大胆スタイルチェンジ?

 今月末で、我々DJユニット脂肪燃焼団、節目の活動5年目を終え、6年目に突入するんですね。
何百人という人に名前を覚えていただきました。何万キロも奔走しました。


今年は海外挑戦や、原点回帰の「転換DJ」のチャンスを経て、改めて自分たちの個性というか、強みというかについて、振り返りながら駆け抜けた1年間でした。


僕らの個性は「笑顔と全力感」と評価頂いてきましたが、最近ちょっとこの「全力感」が上手く出せずに来ていました。

 

「笑顔」っていうのは、人一倍ディテールを凝るとか、より盛り上がるように構成をエディットしてくるとか、動画も全部、隅から隅まで編集して持ち込むとか、そういう準備を済ませるように心がけているからこそですね。
現場で試行錯誤することが少なく、ある程度腹をくくって臨んでいるので、ニコニコしてられます。
お褒め頂いておりますので、それはもう、それなしでは脂肪燃焼団ではないと、絶対貫き通している部分です。

「全力感」というのは、パフォーマーとして客前にグイグイ出ていく相方のなずさんですね。
なずさんは、お客さんがどうして欲しいか、即察して即動けて、どういう風にこの流れに決着をつけられるかを速やかに判断する「現場即応力」に優れた方です。


しかし、僕が準備をするほど「事件・事故・予想外の事態」は少ない。
僕が頑張れば頑張るほど、なずの本領が発揮できない状況が続いていました。
ズバリ、それについての深刻な話し合いもありましたし、本日の富士コスで、きらわんDJさんのサポートをする姿をフロアレベルから見ており……うーん、やはり行き当たりばったりの、誰が来るかわからない、何がウケるかわからない位の現場ほど彼女は力を出すなあと、複雑な気持ちでいたのですが。


今日、プロトタイプをなずに確認してもらい……。
この度、ヘロウの「準備癖」と、なずの「現場力」の両方が活かせる、全然違ったステージを作れそうなので、ホクホク気分でここに書き記しておこうと思いました。


多分、過去最高に準備が必要ですし、ほとんどの現場で「まだ」使えないと思うんですが……、我々としては、今までと全く違う能力を使うパフォーマンスなので、とりあえず本日からみっちり2時間ほど、練習を積み上げています。


何年経っても挑戦挑戦。楽しみだな。

ポケモンGOに思う、人と共に行きていくことの難しさ。

 先日、とある方とポケモンGOを一緒にやっていたのですが、その、あまりの要領の悪さに辟易してしまいました。

「なんとなく難しそうだから」という理由で、カーブボールが投げられない。

リリースから2年半も経っているのに、基本中の基本の技術も身につけてないんですね。

キチンと情報を取ってない。


ポケモンGOツイッターや、アプリ内のニュースで、ものすごく大事な情報をしれっと流します。
そういう情報を読んでいるようで読んでいないから、レアポケモン欲しい欲しいと口では言っていますが、かなりの機会を逃していますし、逃した事自体にも気がついていないんですね。
なんとなーく近所をブラブラしてみて。
なんとなーく運良くいいポケモンに出会えたり、出会えなかったり。
適切な努力もせず、行き当たりばったりで取り組んで、一喜一憂を繰り返している。


その上、状況判断が不適切。


僕がびっくりしたのは「色違いポケモン」についての話をしたときです。
色違いっていうのは、たま~に出てくる、本来赤い体色が黒かったりなど「カラーリングが違う、稀なポケモン」です。


「○○の色違い、出ないかな~」
「ヤキモキしてもしょうがないよ。色違いポケモンってのは、海外の実験で0.25%。400匹に1匹しか出ないんだって。気長にやりなよ」
「ウソだあ!もっと出るでしょう。100匹に1匹くらい出るよ!」


まず、情報提供してくれる相手に「ウソだあ!」という態度が気に入りませんが…w


ともかく、その方のおっしゃる「100匹に1匹くらい取れるから、400匹に1匹しか出ない、という確率が信じがたい」という話ですが、冷静に計算してみましょう。

400分の1の色違いを狙って150匹取れば、32%の確率で1匹色違いに出会えます。

200匹捕まえれば、40%の確率で1匹は手元に色違いが手に入ります。

つまり「100匹に1匹くらいの確率で出会ているような手応えがある」という感触と「0.25%」という確率は、それほどギャップがないわけですよ。


「印象」によるイメージが強すぎて、実際に計測されている現実と全然向き合えていない。



まあ、あくまでもゲームに対する取り組み方なので、浮ついていても全然構いませんけど、万事こういうスタンスで生きている人に出会ったらかなわないな……なんて、モヤモヤしていたときに、こんな記事に出会いました。

 

blogos.com



どうも、先日のポケモンGOが、大マジのようなんですよね
世の中には「大人に見える人」「ビジネスパーソンに見える人」がたくさんいるように見えますが、実際は、


数字による客観的な判断が出来ず
自分にとって大切な情報を収集できず
収集した情報が大事なものなのか、ノイズなのか、読み取ることも難しい



ようなんですよ。
少なくない人が……もちろん自分がそうではないというつもりはありませんけど……事実に基づかない「印象」や「偏見」で判断して暮らしている。

 

何だかよく分かってないけど、アイツが言うことだから、良くないことに決まっている。
あの人はいつも優しくしてくれるから、あの人の言うことはみんなホントのことに決まっている。
今までいつもこうやって上手くいってきたから、次も上手くいくに違いない。

 
世の中ってのはそんなに単純じゃないんですよなあ。
人柄がいい人が最善の判断を下せるわけではないし、ちゃらんぽらんな人間が本質を突いていないとも限らない。
世間はみんなバカばっかりだ、俺だけが優秀なんだ、と思い込んでいたけど、実は自分だけが飛び抜けてバカで、周囲と歩調が合っていないだけだったということもあるでしょう。


「客観視」というのはいつまでも大事です。
笑点」の圓楽師匠が67歳になる今年の新年のあいさつで「落語がうまくなりたい」と言ったそうです。
「終わってみるとあそこはこうじゃなかったかなあ、と思う所がある。だからきっと上手くなれる」らしいんですよね。達人はすごいです。いくつになっても、自分の判断や振る舞いを遠ざけることが出来る。


当然僕は圓楽師匠のような達人ではありません。
こうして驚くような結果が出ています。トシばかり重ねてみても、それに伴ってリテラシーが高まっていくとは言えない様子です。
凡人は常に正解、常に正義を選び取れる能力はないようなので、あまり入れ込まない、思いこまないことが大事なんだろうな、と。
凡人の自覚を持って、つねに「あれ?俺間違ってんの?ごめーん」と改められる、ゴキゲンなおっさんになりたいな、と思っています。


ネットを徘徊する「正義依存症」のひとたち 週刊プレイボーイ連載(326) – 橘玲 公式BLOG



「自分は常に正解だ、正義だ、悪をやっつけろ」という状態はストレスフリーだし、脳も大歓迎らしく、ドーパミンがドバドバ出始めて、止められなくなるそうですね。
そうなったら、もう誰も止められない。発見もない。成長もない。
同じところをグルグル回り続ける激イタ人材の出来上がりです。


願わくば、そうならないように自制していきたいものです。

ディスコードとディスコード

 先週のイベントはDJオンリーでなく、クロスオーバーイベントということで、打ち上げで久しぶりにこんなことを聞かれました。


「DJさんって自分も興味あるんですが、すごく難しそうですよね……BPMとかすごく考えてらっしゃるんでしょう?」


なんとも「聞いた相手が悪かった」としか言いようがないですね。
僕ら、あんま考えてないです
思わず初心に還られる内容だったので、以下、少しだけDJ論を…w


あくまでも僕らの考えですが、
「不協和音(ディスコード)よりも、不和(ディスコード)」というポリシーがあります。

たとえば、ONE PIECEのオープニングで世界中に愛される名曲「ウィーアー!」がありますよね。
この曲、BPM167です。
BPMが近く、フロアで愛される名曲といえば、ラブライブ!サンシャイン!のAqours想いよひとつになれ」とか、のだめカンタービレSUEMITSU & THE SUEMITH「Allegro Cantabile」があります。

でも、僕はONE PIECEのあとはNARUTOがいいんだよ

ジャンプめくってるみたいで楽しいじゃないですか。
KANA-BOONの「シルエット」とか、名曲ですよね。BPMは183ですけど。

こういう時に僕らは考えます。
不協和音(ディスコード)か、不和(ディスコード)か。
そして結局、167から183に飛ばす方法を考えます。
ジャンプめくってる感覚を取るわけですね。

だって僕ら脂肪燃焼団、アニメ大好き、アニオタの、アニソンDJですもん。
お客さんと、アニメについて共感し、アニメを介して仲良くなりたいんです。
ONE PIECEのあとにラブライブ!って、BPM的にはそうかも知れないけど、僕らは違うんですよ。それじゃROUND1のクレーンゲームコーナーみたいじゃないですか


 あの人ともっともっと仲良くなりたい、ってときは、誰だって、コミュニケーションのコード…調和を破りますよね。
「今夜は一緒に帰りませんか?」という一言で、同僚という、クラスメイトという、行き帰りの電車で顔を合わせる関係、というコードを破るでしょう。


だから、僕らは全然BPMを絶対視してません。
DJは「手段」ですから。
これがしたい!という「目的」があれば、そんなのは全部放り出して、表現します。
いつか、どこかの現場で、僕らがサンドバッグになって床に転がされていたら「あぁ、アイツらの考えは一般的ではなかったんだ」とお察しください


「DJさんって自分も興味あるんですが、すごく難しそうですよね……BPMとかすごく考えてらっしゃるんでしょう?」

というご質問でしたが、BPMを第一にしなきゃいけない、そう言うルールだとしたら、逆にメチャラクなんですよ。むしろなんにも考えなくていいから。
それなら、ただの手いたずらですから。

僕らが考えているように見えるのだとしたら、それは「いつ、どうやってBPMを破ろうか」ということを考えています。
僕らが難しいことをしているとしたら、それは「僕らがBPMを破ったとしても、目の前のお客さんは絶対僕らのことを嫌いにならない!と、全面的に信じ抜くこと」です。


DJ論、終わり。



ディスコードといえば、とある番組で、MCが「死んだら負け」と言ってエライ騒ぎになりましたよね。
「死のうという人間に対して『負け』とは何事か」と。

あれも、ディスコードの問題でした。

発言内容はこうです。
「世間やマスコミは、自殺した人間に同情的で、その死を悼み、ともすれば、自殺の意思自体を尊重しかねない様子だが、それを見た、追い詰められた人間が『私も死んだらあんなふうに、皆が共感してくれるのかしら、同情してくれるのかしら』と、自殺を企図しかねやしないか、と、強く疑念を抱いている。だからこそ、世間の向きに反し、自分だけは『死んだら負け』なんだとハッキリ表明したい」


自殺した人を貶めたりしていませんし、自殺しようとしている人を軽んじてもいません。
「死んで花実が咲くものか」と、それほど変わらない意味で使っているだけです。
死んだら負け、で気炎を上げていた方は「死んで花実が咲くものか」が掲載されている「大辞林」の三省堂にもキチンとクレームを入れているんでしょうかね。「死のうという人に対してなんて無神経な言葉を掲載しているんだ!」つって。


単純に「死」に対して「負け」がディスコードだったんですよね。
ただ、当人がなぜ「負け」という刺激的な言葉を使ったのか。
見てもらいたいから、一緒に考えてほしいから、ではないんでしょうか。
誰が自殺しようと構わない、というなら「遺憾の意を表します」「可愛そうでしたねえ」と言って、右から左へ流してしまえばいいじゃないですか。

それを、単純に言葉選びがいびつだからといって、相手の人間性がどうの、と、言い切れてしまうその無神経さ。それこそが、発言者の「自殺という強烈な事実に対して、無条件に同情してしまう世間」そのものであって、あまりの意思疎通の出来てなさにため息が出るばかりです。いびつなのは、無思慮なのは自分の方ではないのか、と思わないその神経に薄ら寒さを感じます。

渋谷のハロウィンがそうだったんですが、いかなる時もひとつのコードに準じて行動する、という人間は、素晴らしいことでも何でもない。かえっておかしなことの元凶になると思います。
トラックを横転させた彼らも「ハロウィンなんだから、特別な日なんだから、特異なことをしなきゃいけないんだ、おかしなことをしてもいいんだ」という、おかしな高揚感に取り憑かれていたのでしょう。


ときにはコードを破り、やりすぎたら、謝る。
それが良い人間関係の元ではないかと、ふと頂いた質問について、思いを巡らせておりました。

月灯りのカーニバル、お疲れ様でした!

LIVE ROXY SHIZUOKAにて、月灯りのカーニバル、という、バンドありDJあり、腹話術あり、アイドルあり、椅子ありの素敵なハロウィンパーティに参加しました!!


ハッキリ言って面白い、というか、他にないイベントでした。
超・大所帯で、僕らの親世代のバンドさんもいるんですよ。スンプレンジャーさん!
実に、夢があった!
きらわんだと最年長になりがちで、ちゃんとしなきゃな…と思いがちなんですが(思うだけですが)やっぱ、音楽って一生モノの趣味だね!卓越したパフォーマンスでそれを体現してくれていて、ジーンとこみ上げるものがありました……。


世間は広い!まだまだ僕らは小僧っ子です!実質ルーキーです!引き続き暴れよう!


オーガナイザー・くぅさんの率いるナ月さんも素晴らしかった。
フロアにズンと来る圧巻の歌声と、合間に挟まれる、果てしなく「しょうもない」パフォーマンス。

でも、あのしょうもなさが、僕はたまらなく好き。
「いいヤツに会えたな」って感じ。

このブログに何度も書いてますが、僕は、パフォーマンスでいちばん大事なの「いいヤツに会えたな」以外にないと思ってるんで、これはもう、ジャンルを超えてリスペクトします。面白かったです。


今回はフロアに、ブースに、誠にご好評いただきました。痛快なくらい手応えのある現場でしたが、それは僕らふたりのパフォーマンス以上に、くぅさんのオーガナイザー力あってのものです。
僕らはお初の参加でしたが、イベントのことでなにか決まり次第、まめにご連絡いただきまして「あぁ、こういう趣旨のパーティで、こういう行き届いた方がオーガナイザーで、だったらきっと、こういうお客さんが来るだろうなあ」というのが、ありありと浮かんでまいりました。
オープニング、照明が落ちて、面白い仕掛けがあって……あぁ、大丈夫だ、思った通り、素敵なイベントだ、って、結構早めに、ビンビンに感じていました。
とはいえ、脇にアイドルさん用のステージがあったので「これはいい、昇ろう」とちゃっかり使わせていただいたのは転換DJとしてはどうなのか、と思いますが、そこはほら、ハロウィンなんだから、というわけで。


来場者も100人超えということで、静岡のど真ん中で、実に愉快なカーニバルになりました。
もし、アニソンDJイベントってのも面白そうだなと思ったら、清水のきらわんまでお越しくださいませ。

藤田和日郎先生と「双亡亭壊すべしはクソ」と言ってる人間が同じ「1票」はおかしい

 

 
大大大大好きな藤田和日郎先生の、絶賛連載中スーパー面白いマンガ。


そう言えば始まったな、と思ってネットで評判を見たら

「読まなくていいよ、うしおととらからくりサーカスに比べればクソだよ」

という書き込みがあって、そっか、わざわざ書き込むくらいなんだから面白くないんだろうな…と思って、10巻くらいまとまったら読もう、と思って。


そしたら今秋、待望のからくりサーカスアニメ化。


決まっただけで号泣。やっぱり俺藤田和日郎先生大好きだ…と思い、双亡亭壊すべしにいよいよ手を付けました。






ちょーーーーーーおもしれえわ。





いつものように、物語が壮大ということもあり、下地作りで1,2巻が終わってしまいますが、エンジンがかかればさすがは藤田和日郎大先生こと神。散りばめられた謎、魅力的なキャラ、沸騰しそうなストーリー。まったく何の不満もない超大作です。




ウキウキしながら次へ…次へ…と読むうちに、猛烈に反省しました。




ネットで「双亡亭壊すべしはクソ」と言ったアイツ。



そういやアイツ誰だよ、と。



なんで俺、アイツの言うことなんか真に受けたんだろう?って。


社会人1年目。辛い新入社員生活を過ごしながらの日曜日。
社宅のレオパレスにしばらく住みづらくなるくらい泣き叫んで読んだからくりサーカス藤田和日郎先生が、サンデー看板作家のプライドをかけて臨んでいる新連載。
うしおととらの方が…」「からくりサーカスの方が…」「スプリンガルドの方が…」と、過去の大傑作と常に比較されるプレッシャーと戦いながらの新連載。


それと、ネットの誰だか分からんヤツの「クソ」を同じ1票とカウントして、藤田先生は面白いって言うけどネットではクソって書いてあったし、うーーーん、しばらく経ってから読めばいいかな……と放置していた己の愚かさ。




マジでバカだな、俺、と思いました。

よく「誰が言ったかじゃないよ、何を言ったかだよ」という言葉もありますけど、言葉通り受け止めるのも違うなと思いました。


厳しい世界で揉まれながら、自分の命を削って、キャリアをかけて発信している人と、
蚊帳の外からノーリスクで発信している人の言葉がイーブンってことは絶対ない。



あまりにも情報が飛び交うなかで、流れ弾に当たりながら、ぼーっと生きていたな、と学びました。


24歳の自分に会ったら、それこそ怒られるでしょう。
「お前は、自分の人生で1番か2番に辛かった時に支えてくれた人間を、なぜ信じられなかったんだ」って。


今後の人生で、また、こんなザマにならないことを祈るばかりです。