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シン・ゴジラ感想【本筋のネタバレ無し】

トピック「シン・ゴジラ」について

 
 これです。これ。
コレがゴジラ映画です。いや、コレが「映画」です。
久しぶりに骨太の邦画を観ました。
「大人の映画」を観たという印象です。


 いちいち主人公が口頭で心境を説明しない。叫ばない、泣かない。
ハリウッドではありえない、邦画もとうに忘れてしまった作劇がここにありました。
腰の据わらない政治家、笑うしかないくらいクソ長いテロップ、国会周辺のアレ、コピー機につぐコピー機、等々、マンガチックに赤裸々に描かれる「日本」。
各キャラクターが使用している、各省庁からのリースのパソコンが富士通だったりパナソニックだったりするのが細やかに「縦割り」感を演出しており、個人的にグッと来ました。
こうしたアイロニーすべてがツッコミナシの「ボケっ放し」。
コレに加えて、あまりに精緻に描かれる「大ウソ」ゴジラというファンタジーが、また目まぐるしく描かれる。
膨大に繰り出されるこれら情報の奔流を、ネットを排した映画館という非日常空間でひとつひとつ、頭の中で咀嚼しかなければならない。実に映画らしい映画であり、ましてやタクトを振るうのは、このジャンルで言えば唯一無二の庵野秀明。上映中は、とにかく疲弊させられます。しかし「いいぞ、どんどん来い!!」と、ときめきます。製作者から、大人の視聴者として、自分のリテラシーを信じられている。説明過多の映画に慣れきって、久しくなかった感覚です。心地よい疲労です。脳内物質が湧き出るのを感じます。
冒頭15分から全く歩み寄らず、早々に説明を投げちゃってるのが潔い。
一緒に見に行ったなずさんはやっぱり置き去り感を抱いたそうですが、ただアレだよ。「室井さァん!どうして人口密集地域でミサイルの許可が降りないんですかァ!!国の存亡がかかってるんですよォ、日本に生まれて来るんじゃなかったなァ!!
いちいちそういう脂っこいシーンが挟まれない、というのは、やはり今回のテーマ「ニッポン対ゴジラ」を地で行くものでありました。思い切った映画作りに感謝です。



 ゴジラの描写に文句は何一つありません。
今作のゴジラは僕の望んだゴジラそのものです。
僕にとって、ゴジラ映画のゴジラ


「こりゃ、手に負えなさそうだ」


と、思わせてくれるかどうかが大事です。
残念ながら、2014ゴジラは端々に、


「……手に負えそうじゃん」


と、思わされました。というか、完全に、思わせてました。イケメンでした。メッチャ粗暴に見えて、メッチャ人類寄りの行動してました。踏み潰す以外で人殺さないし。最終的に「怪獣王は救世主か?!」言ってましたもんね。ハリウッド版ゴジラ
アレは完全に、少女マンガのノリです。「アンタ……ゴジラ、だっけ?見なおしたよ、結構…優しいとこあんじゃん」みたいな。


 今作のゴジラは、観れば分かります。絶対に分かり合えない。
従来ゴジラの生態に「とある設定」が加えられていたおかげで、一層「話の通じなさ」が増しました。素晴らしい改良だったと思います。


 都市破壊も、完璧でしたね。
最高のミニチュア破壊+庵野ビーム。失禁モノです。最高のごちそうです。本当に美しいビル破壊でした。分かっていらっしゃる。やはりゴジラ映画といえば、主演:ゴジラ、助演:高層ビル、友情出演:一瞬映り込む架空の企業の看板です。
 今回は郊外→都心の描かれ方がスゴく良かったなあ。
昭和の名残のある、平屋建てや2階建て日本家屋の街・蒲田や鎌倉から、徐々に無機質な高層ビル群に突入してくるところとか。多摩川を境にした日本の描かれ方が非常に「分かりる」。まさに電車から見る東京都市圏のイメージにドンピシャ。
ぜひぜひ、海外にも売り込んでほしいなと思います。日本の風景、風俗、日本人の特性がつぶさに描かれた秀作という意味でも。


 まったく、抜かりのない映画でした。
 僕は文句なしの100点です。


 ところで、某山梨県の某所での初日・ラス2の回。
僕となずさんの隣で見ていて、帰り際にぼそっと、


「何これ、結局エヴァじゃん」


 と呟いたお兄さん方2名。
あなた方に言いたい。


僕はあなた方を責めない。無知は罪じゃない。


トップをねらえ!っていう、面白いアニメがあるから、それ観て出直して来なさい。

暗殺教室、今さら読んだんで感想!

 

暗殺教室 21 (ジャンプコミックス)

暗殺教室 21 (ジャンプコミックス)

 

 

 

 「殺す」という大変物騒で、非日常的で、口に出すのもためらわれる、破壊力を持った言葉。それをあえて物語の中心に据えるという、危険な魅力にチャレンジした快作「暗殺教室」。
 なずさんに読め読め言われて、まとめ読み派の自分としては、ずーっと佳境だったこの作品、いつ手をつけて良いものか二の足を踏んでおりましたが、完結したということで満を持して挑戦。

 第一印象は「何このマンガ、炎上狙いかな?」とも思いましたが、読了してみれば本当に素晴らしい、こみ上げてくるものがある作品でした。


 特異なマンガだなと思うのは、物語「そのもの」にまったく不安が訪れないこと。
週刊連載だと、なんかダレちゃったな、最近イマイチだよ、とか、このあと(悪い意味で)どうなるんだろう、谷場が生まれてしまうものですが、そういうのは全くなし。
むしろ、そろそろあのキャラのアレ、片付いてほしいな……あのキャラのあの感情、そろそろ爆発するんじゃないの……→ああやっぱり、みたいな、狙いすましたようないい展開。最初から最後まで、抜け目ないお話運びで没頭させられました。
さすが、色々言われるものの、日本一の少年誌です。傑作を出してきます。


 それから特長的だったのが「埋没するキャラクターが誰もいない」。
クラスメイト全員に出番があり、役割があり、使命がある。
主役脇役問わず、互いにリスペクトがある。
タイトルからしてこれは「教室」の話ですからね。一部のキャラクターが話をけん引するならそれは「教室」じゃない。そういう意図があったのでしょうか。
とにかく個々のキャラクターの粒揃いの魅力がたまりませんでした。


 さらに魅力は面白さだけじゃなく、そのテーマにあります。
読み進めていくと、いちいちエキセントリックな題材、味付けの濃いギャグ、強烈な時事ネタに紛れた、この物語の奥底のテーマが見えてきます。


「殺す」ということ。


「殺す」=命を奪い取る、という行為は、すべての読者に経験のないこと(そう願います)。

だから当然「暗殺」という題材が、1000万部を越えるこの作品のファンを生み出しているわけではありません。

描いているのは「命の奪い合い」じゃないんですよね。

それよりもずっと濃く深く描かれている、キャラクターが「殺し続けている」行為。


それは、命を絶つ「殺す」ではなく。


「勢いを止める」「さまたげる」「封じる」=「押し『殺す』」の方。


これが、僕らの共感を呼びます。

これこそ、おそらくこの物語の真のテーマであり、人生にとって普遍のテーマです。

親に、境遇に、肩書きに、過去に、環境に「殺され」続けるキャラクターたちの、悩み苦しみ。
「殺し合い」の真っ只中にいる、少年青年、あるいは「殺し合い」を経て、生き残って大人になったすべての読者に、これが突き刺さらないわけがない。
過激な展開、強烈なギャグに巧みにカモフラージュされながら、着実にまっすぐ育っていく生徒たち。
エキセントリックな外皮に、ヒューマニスティックな中身。
その構造はまさに「殺せんせー」のキャラクターメイキング、そのもの。
作品のテーマは、あらゆる部分において徹底的に描き尽くされていました。


「『殺されても』生きよう」。


20巻のせんせーからのメッセージが、大好きです。
ありきたりな学園ドラマなら鼻で笑って読み飛ばすところでしょうが、実際に命のやり取りを経験した相手から「そう」言われれば、そりゃ、響くよ。
そこに至るまでに描かれてきた生徒たちの「生還」をあたたかく祝福する、せんせーの言葉に、涙が止まりません。

あまりにも突飛でひねくれたストーリーから、あまりにも純粋まっすぐな着地。

気色悪い作品でしたが、でもまあ、きっとそう終わるだろうね、と思わせてしまうのは、作者のバツグンの構成力、筆力のタマモノと言えるでしょう。
本当に最初から最後まで面白く読めました。


自信を持って人にお勧めできる一作です。



まあ、僕がなずさんに勧めてもらったんだけどね。