読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

脂肪燃焼団のおふとりさまですが相席よろしいですか?

脂肪燃焼団のメンバーが日々思ったこと、食べたものなど。

映画「キャプテンアメリカ/シビル・ウォー」で自分がザブンと沼に落ちる音がした


エイジオブウルトロンで「もう、このシリーズには付き合いきれない」と見限った人に、

 

 


絶対におススメしない逸品です。

 

 

 

前作エイジオブウルトロンは「THE・ハリウッド映画」「THE・アメリカ病映画」という印象でした。
世界平和を標榜するものの、たかだか数人のポリシーがちっともまとまらないクソチーム。
スーパーパワーと繊細な心のアンバランスに苦しまされるメンバー。
それでも任務に向かうものの、世間の反応は否が多い賛否両論。
しかも「分かりやすい悪の組織」であるところのヒドラはすでに青息吐息。
世界の脅威ではありません。
劇中に現れる互角以上の力を持った敵は「自らの弱さ」そして「強さ」が生み出したモンスター、という痛烈に皮肉な状況。
スーパーヒーローとはいえ、大らかではいられない。
スーパーパワーを使うことが仕事なのではなく、刀の抜き方、納め方にこそ神経をすり減らされる。
「スーパーヒーロー=落日のアメリカ」としての痛烈な描写が印象に残る作品でした。

もちろん、重苦しい描写とは裏腹に、そのギャップとしての激しく見ごたえのある戦闘は、たいへん魅力的。
物語の醍醐味は「緊張と緩和」ですが、いかにも痛快SF映画として楽しめた「緩和」のアイアンマンから、だんだんと「緊張」に比重が置かれてきた。
ここからきっと、シリーズはまた大きく「緊張」にうねり、最後の最後、ドデカイ爽快感が待っていることも明らか。

そのための、ターニングポイントとしての「エイジオブウルトロン」。

分かります。それは分かります。


だからこそ、世間的な評判がイマイチなのも十分共感できます。
作品の時代背景、マーベルシリーズのターニングポイント、これから来るクライマックスのための、助走の一本…そういう視点を排除し、1本の娯楽作品として見れば、納得出来るシロモノとは言いがたい。
結局2時間以上、あいつらが失敗する→尻拭いするまでの壮大なマッチポンプに付き合わされただけじゃないか」という悪印象を抱かれて、当然。

物語のほとんどを仲間割れに費やし、巨大な敵を前にいったん団結するラストバトル、という、ドンベタかつ手垢にまみれきった展開。
しかも、そのバトルすら、ホークアイがなぜか最前線で飛び回り、ありえない痛恨のミス。「?」マークの来場者全員サービス。あの据わりの悪いクライマックス。
なんか、モヤモヤする映画に付き合わされたな…という感想を抱く人がいて当然の作品でした。

 


さて、その続編である今回のシビルウォー。

 

 

最悪で、最高です。

 

前作で起こした顛末を、全面的に引き受けた上での続編。
日本のこの手のヒーロー・特撮映画では「まあその辺は観る方でチューニングしてくださいと言わんばかりの関係性リセット・経験値リセットが行われたりしますが(それもまた、オツなのですが)全くそういうのはナシ。
2本ぶっ続けで観ても、何の破綻も感じないんじゃないでしょうか。
キャップは今作も融通のきかない頑固ジジイだし、スタークは相変わらずスーパーパワーに翻弄される毎日。
ホークアイは気まぐれで、クソ弱いくせに肉弾戦が大好きです。
ヴィジョンはクソあやふやで、一挙手一投足、いちいちカンに障ります。
アントマンは相変わらず物語とクソチューニングが合ってません。
ファルコンは相変わらずキャップ命で、中の人の声も相変わらずクソ浮いています。
ウィドウは相変わらずクソ腹立ちますけど、両脚で組み付いて相手の首を折る攻撃、アレ、クソ喰らってみたいです。


エイジオブウルトロンで「こんなヤツらに世界の存亡がかかっていると思うと心底ウンザリする」と思わせてくれた各キャラクターの成分が、重厚なストーリーの中で回を重ねることで、いい感じで煮詰められ、純度が上がっている。
前回「もうこのシリーズはイイや」と思った人間がうっかり見に行くと、やっぱり心底ウンザリさせられるでしょう。

しかし、前回「いいよ、最後まで付き合うよ」と思った人間にとっては、

 

間違いないです。ザブンと行きます。

 

沼にザブンと。

 

エイジオブウルトロン~シビルウォーの2作で、キャラクターはグッと立ち上がりました。
ヒーローたちは、一作目からずっと鑑賞者の頭をよぎり続けてきた問題に、いよいよ直面させられます。


それはもう、笑っちまうほど直面させられます。

 

お前らが居ると、かえって迷惑なんですけど」という。

 


冒頭20分で「おっ、観ている俺たちがずっと思っていた疑問に直面しているぞ」となる。

ヒーローたちが、強大な敵でなく、ある意味もっと強大な。
「他ならぬ『俺』の疑問と戦っている」という、インタラクティブ感。

その境地へ、怒涛のように飛び込ませてくれる極上の導入部(スカーレットウィッチは犠牲になったのだ…)。

しかも、ただそれがこの物語の入口であるだけでなく「新ヒーロー」誕生の契機としての意味も持つという、脚本の妙!

陰鬱なエイジオブウルトロンにめげず、足を運んでくれたファンのみなさんに、これほどグッと来る展開はないでしょう。

さらに、そのインタラクティブ感にのめり込みつつ、とあるキャラクターの心情に身を委ねていくと、次第にタイトルの「シビルウォー」とは何を指すのか、という問題を突きつけられることになります。


直訳すれば内乱、内戦、ということで、劇中描かれた「ド派手な内輪もめ」をズバリ指す語のようにも思えます。


しかし、それだけなのか。


「誰」と「誰」の内乱なのか?
なぜ、ゾッとするような強大な敵が現れるわけでなく、今作は「シビルウォー」なのか。


そして、気づかされます。


スーパーパワーを持った超人の活劇ではなく、これが(陳腐ではあれど)濃厚なヒューマニズムの物語なのだと。


アイアンマンも、キャプテンアメリカも、一作目は「ほーん、ま、がんばってよ」という感じだった。


しかし、この作品で自らの存在意義と直面した彼らからは、かつての作品とは違い、熱い血の脈動を感じます。
その共感は、薄っぺらなスーパーヒーローとしてではなく、まさに「Civilian」である僕自身と地続きのモノ。
ここからはもう、応援しないわけにいかない。そんな気にさせられます。


そりゃ、ディズニー発ハリウッドムービーだからさ。
驚くほどチープな結末が待っているかもしれない。
そうならざるを得ない色ーーーーーんな事情もあることでしょう。
スパイダーボーイがちょっと遅れて集合してきたみたいにね!


しかしそんな「見え透いた結末」とは別に、本作は最高に見応えのある作品です。
前作の鬱屈した展開にウンザリした人は、もう今さらこのシリーズに帰って来られないでしょう。
しかし、僕は非常~~に面白かった。

ここまでの彼らの「葛藤」や「変節」を、全作おさらいしたいくらいにどっぷりとハマれました。
肩までつかりましたよ。マーベルシネマティックユニバース。そりゃもう、どっぷりとね。