脂肪燃焼団のおふとりさまですが相席よろしいですか?

脂肪燃焼団のメンバーが日々思ったこと、食べたものなど。

相方とトム・ブラウンの面白さを共有できなかったからここに語る(なるべく5,000字以内くらいで)

 今日は1週間遅れで相方なずとM-1鑑賞会。
もう日本中の人が知っている、あの最終結果を見た瞬間、ふたりで目が真っ赤。二度目の涙がこぼれてしまいました。これがトシを取ったってことなんでしょうね。単純な勝敗だけでなく、関わっている色んな人の情熱や、喜びや、悲しみに心が動かされてしまって……。
おかしいですよね。ただのファンなのに。
ワケ分かんないですよね。お笑い見て泣くなんて。なんだろう。やっぱおかしい。
きっと更年期だからだ。


 今年、もっともふたりの間で評価が別れたのがトム・ブラウン。
「暑がりの人と寒がりの人に合わせて部屋の温度をふたつに調節してくれるエアコン」がありますが、見事、あんな感じの4分間になりました
えぇ!?チョマテヨお前よォ!!めっちゃ面白いし、メッチャスゴイだろうが!!
という話をしようと思ったら、アイツ、仕事行きやがったの。
この寒いのに。年の瀬なのに。立派か!!!!


以下、誰も聞いてくれる相手がいないからここに書くことにする。

 

M-1はブッ壊し大会だと思って観ている。

「はいどうもー、脂肪燃焼団です!」
「太ってるほうが私、なずと、もっと太ってるほうが、ヘロウと申しますー!」
「「よろしくお願いしますー」」
「いやなずさんね」
「何でしょう」
「僕、職場の部下が結婚するんですよ」
「おめでたいことですね」
「そんで、式に呼ばれておりまして」
「いいじゃないですか」
「上司ということで、挨拶を任されておりまして」
「ええ」
「僕に出来るかなと不安なんです」
「だったら練習しよう」
「やってくれるんですか」
「他に相手もいないでしょう?」
「頼れる~~!!」
「えー、それでは新郎新婦の上司代表、ヘロウさんからのご挨拶です」
「ご紹介に預かりました、ヘロウと申します」
「そして、こちらが先程からひっそり座っている、新婦の兄役の滝藤賢一さんです」
「モニタリングか!!
俺の晴れ舞台!!俺以外の人間に視線釘付けにするな!!」
「あれ、滝藤賢一さん付けない挙式ですか?」
「付ける付けないじゃねんだよ!滝藤賢一さんをキャンドルサービスみたいに扱うんじゃねえよ!」


……こんなんが我々のイメージするステレオタイプの漫才と思いますが。
今大会を見ている限り、もう、こんなスピードじゃ圧倒的に遅い


お笑いの王道は「Aと思って観ていたが、A'という展開になった」だと思うんです。
とすれば、導入の部分で必要なのは「強烈な先入観のある空間を視聴者にイメージさせる」ことが必要になります。
トップ漫才師として君臨するサンドウィッチマンは、これを「街頭アンケート」を用いて行いました。
ありがちな「何の役に立つかわからないアンケート(A)に協力させられる」というシチュエーションを提示しつつ「何の意味があるのかすら分からないアンケート(A’)を受ける」という漫才です。

なぜ彼らがこれで頂点を極めたか。それは、

「この前変なアンケートを受けてさあ」
「俺、生まれ変わったら街頭アンケートってヤツをやってみたいんだよね、ちょっと練習させてくれる?」

という、笑いの起こりようがない、舞台設定に過ぎないわずらわしい導入を、


「世の中で興奮することは色々あるけど、街頭アンケートを受けるときが一番興奮するね」

…「興奮」という、わずか4文字で説明してしまったからですよね。



最初の20秒は、導入。
「ちょっと練習させてくれる?」と言ってからが本番。
演者も視聴者も何となく同意していた約束事を、サンドウィッチマンは破壊してしまいました。


これ以後、あとに続くM-1チャレンジャーは「導入をどうするか」という課題をまず考えなければならなくなりました。


今年のファイナリストで言うと、


ミキ・ギャロップかまいたち
〇〇をする〇〇、というコントを排除し、本人のキャラクターで勝負。
ジャルジャル
どうもー、後藤です、ジャルジャルです、福徳です、と、転倒させてひと笑いさせ、即座にマイワールドへ。
和牛→
ありがちな導入であるものの「もし俺がゾンビになってしまったら殺してくれるか」という、突拍子もない、だけど強く興味を惹かれる世界へ突入し、ステレオタイプの漫才コントではありませんよ、ということを即座に示す。
見取り図→
あえてありがちなクラシックスタイルの導入を採用し、そこに後半効いてくる「つだゆりこ」を挿入し「大笑い」の布石を打っている
スーパーマラドーナ、ゆにばーす→
ラシックスタイルでスタートし、芳しくない評価を受ける。


こんな感じで、開始と同時に、即、何ポイント稼げるかというものすごいハイレベルな戦いをしています。


優勝者の霜降り明星も、ありがちフレーズを排し、ボラギノールでキッチリ大笑いをかっさらってコント突入。
その後も、ボケに(ツッコミという体裁を取った)ボケを上乗せし、圧倒的なパンチの数で優勝しました。
勝つべくして勝ったと思います。


このスタートダッシュ合戦の中でトム・ブラウンは笑いだけでなく、見事なマッピングを決めた、という風に見ました。


「ケンタッキーは骨ごと飲み込みます!」
「きゃあああああああ!!」(叩くとも、頭を撫でるとも言い難い動作)

 



このふたりの振る舞いを見て「何だこいつ……」と思わない人間がいるでしょうか


しかし、個人的にうまいと思ったのは「ケンタッキー」です。
「フライドチキンを骨ごと飲み込む行為」は想像したくないのですが「ケンタッキー」と言われると、あの匂い、サイズ、重み、全部想像できちゃうじゃないですか。


だから、ギリギリとっつきようがあるのです。


「この人達、話せば分かるかもしれない」


ケンタッキー、という言葉選びで、どこか、そう思わせてくれるんです。



彼らは、もはや「〇〇やらせてくれ」など許されないM-1の導入部分対決の中で、
「ものすごい変な奴が出てきた。異様な見た目で、異様なことを発しているから、きっとこの後もおかしなネタが待っているのだろう。でも、話せば分かるかもしれない」というキャラクターを、即座に、視聴者の頭の中にマッピングしました。


実際、その後の彼らの意味不明なネタには「サザエさんの中島くん」「中島みゆき」「木村拓哉」「前田敦子」「モーニング娘。」「布袋寅泰」などが登場し、言っていることは意味不明なんだけどビジュアルは浮かんでしまうという、絶妙なさじ加減で展開していきます。


ここが、僕はすごいなと思いました。


同じように、取り付く島もないネタをするジャルジャルは、同じ導入部で、
「小学校の頃に流行った国名分けっこゲームをこれから行います」
という、ただただブッ飛んだ大ウソの設定を打ち出し僕を置き去りにし、完全に開き直って走り出しました。
僕のセンスは凡庸なので、別に構いません。
しかし、ジャルジャルのこのスタイルはコンテストに勝つ上では戦略的ではない。
置き去りスタイルは「分かりやすいこと」「大衆に受け入れられること」を是とする上沼恵美子さん、オール巨人さん、中川家礼二さんが票を入れないから、絶対に優勝できないじゃないですか。
その他、サンドウィッチマン富沢さんにも「マシーンのよう」と評されました。
それも、彼らの日頃の漫才を見ていれば明らかです。あれだけ愛らしいコントをする富沢が、最後の最後、ジャルジャルに票を入れるわけがない。


ジャルジャルのマイワールド漫才は、必敗なんです。
(さすが本人らもそれを十分わかった上で、最終決戦に「ふたりの意地の張り合い」という血の通ったネタを用意していたのは、屁が出そうなくらいカッコよかったです。)


突拍子もないことを叫びながらも、妙なとっつき、人間味を残す。
結果は伴わなかったものの、トム・ブラウンの「マッピング」は素晴らしいと思いました。
これならば「マイワールド系漫才」でも勝つ余地が生まれるじゃないか、と。

 

そして最大のブッ壊しポイント「ツッコミ」


彼らの破壊行為は導入の情報量だけではありませんでした。


マイワールド漫才で先を走るジャルジャル「ストーリー」を破壊しています
彼らに「大きな物語」はありません。
もちろん、まるっきり意味がなければ笑いどころが減ってしまいますので「母をたずねてサンゼンチン」できっちり回収していますが、それほど大事ではない。
内容といえば、存在しない遊びを捏造して、ふたりでじゃれ合っているだけなので。
TikTok漫才」とでも言えばいいんでしょうか。
サビしかない。前振りがないから、全部がお笑いポイントです。
大発明です。審査員の高評価もわかります。


対するマイワールド漫才、トム・ブラウンはどう出るか。


なんと、ツッコミを取ってしまうという荒業を繰り広げました。


ジャルジャルは「そうはいってもたまに正気に返って調子を取る」という瞬間があります。「ゼンチン、ドネシアばっかりやんけ」という。


設定は僕と共有してくれないけど、ボケ・ツッコミという概念は僕と共有してくれるんですよね
でも、それってほら、審査員席で立川談志さんのものまねをしている人がいいこと言ってましたけど「本当に面白い時は上手いと感じない」に反するじゃないですか。
「本当に面白いこと、本当にとんでもない世界観が繰り広げられているのにも関わらず、ボケやツッコミという役割分担がある」というのは、アンバランスです。

僕は、そこがいまいちのめり込めなかった。
だからあの審査員席のほら…ガッテンしたり、龍角散をゴクンとしたり、ペヤングを食べる方じゃない方の立川流の人がつけた99点。
どうなの?って、思っちゃうんですよ。審査は分かりやすかったですけど。


トム・ブラウンはツッコミ?役の布川が、ツッコまない。
マジかよ、と思いました。
こういうコンビ、過去にいなかったか?といえば、いました。
スリムクラブ。(大好き)
スリムクラブもツッコミはいません。「やべー人」と「寄り添う人」です。


でも、トム・ブラウンの布川さんは違います。さらにオルタナティブです。


あの人の役割は、ありません。
ナイツの塙さんもコメントしていました。

「途中からツッコミの布川君が客席にいちいち同意求めてるのがおかしくなっちゃって。誰に対して説明してしてるの?」

そうなんです。
漫才って「目の前の話者たちがウソの話をしていて、その会話の中で繰り広げられるおかしな世界のなりゆきを見るもの」じゃないですか。Wikipediaか!!


その大前提を破壊。
布川は、みちおの世界に参加できていないという、おかしなことが起こり始めます。
かと言って「ウソの話を、一旦ウソの話と距離をおき、観客に近寄ってくる」という、いわゆるメタネタ……今回大会で言えば、スートーロングゼロドーナ武智の「一生でいちばん大事な舞台で何やっとんねん!!」を放り込むわけでもありません。


布川は「どこにも居場所がない人」なんです。


スリムクラブは「当たりの弱く優しい寄り添う人が、常軌を逸した人間に出会い、ただ苦笑するばかり」というネタです。
ここには、対話があります。
ボケの真栄田も、サイコながら共感を求めようとしています。


トム・ブラウンの布川は、


「〇〇するそうなんですね!」
「どうなっちゃうんだーーー!!」



対話がない。
巨人師匠が「漫才としてどうなのか」中川家礼二が「評価がワケわからなくなってきた」上沼恵美子が「未来の笑い。私にはわからない」というのは、当然です。
このふたりは世界を共有していないし、会話もしていないですから。
でも、でもですよ。

「常軌を逸した世界にツッコミがいると思ったら大間違い」だし。
「笑いの数を増やさなければいけないM-1において、ツッコミで一旦流れをブレイクするのは損」です。


ストーリー、戦略、両面において、カンペキに理に適っている。


だから、スゴかった。
もう、漫才ということにしておいてください、あなたたち漫才師の歴史が生み出したモンスターですよ、彼らは。


霜降り明星は、ボケの動きを元にボケてみせる「フリップ芸漫才」。
和牛は「映画」。
ジャルジャルはストーリーを排除した「TikTok」。


その中で、ついに「ふたりが対話しない漫才」トム・ブラウンが出てきて、M-1グランプリは、一体僕をどこまで連れて行ってくれるの?とドキドキさせられました。


とはいえ、決勝10組全員トム・ブラウンになるというのならそれはそれで「今日でいいや」ですが……w