「伝統」という言いようのない何か
>5日は地元消防団の団員5人が高さ約20メートルの火の見やぐらに上り冷たい水の洗礼を浴びました。
>団員たちは寒さに震えながらも約20分間続く放水に耐え、火事や水害のない1年を祈願していました。
新年会をしていたらこんなニュースがテレビから流れてきまして、その場がザワザワとなりました。
僕はこの地域の人間でもなく、当事者でもありません。この行事の注目度とかはよく分かりませんが、ニュースになるくらいだからそれなりにあるのでしょうか。
一般的な話としてみれば、物事の節目にこうして、関係者一同が集まって、セレモニーをして、気を引き締めるということが、安全に効果があることは分かります。
「ただ、そうはいっても低体温症になるかもしれないから、やめれば?」と思って見ていました。
一緒していた全員も、同じような意見でした。
「ただねぇ」
と、メンバーのひとりがとある話をしてくれました。
その方の住む地域にも「伝統は結構だけど、段取りひとつ間違えたら命の危険になりかねない」ような行事を行う消防団があるそうなんです。
「地域の人間はね、結構言うの。
『そんなことしてるの、あなた達だけなんですよ』『もう、そういうの世間じゃ通用しないよ』『一度自分たちの振る舞いを冷静になって見てみてご覧』っていう風に」
「でね、多くのメンバーも分かってるの。自分たちが周りと違うことをしていて、それが、世の中の流れに沿ってなかったり、このまま続けたらヤバいな、ってことは」
「それなのに、何故変わらないんですか?」
「それがどういうわけか、他でもない、危険にさらされている当事者自身が反発するんだよ。
『これが俺たちだから』『これをしなきゃ、自分たちが自分たちで居られなくなりそうだから』って。
まあ、何かそういう、憑かれたようになってんだよね。
本人たちがそういう風に言うんだから、いくら周りがあなた達おかしいよと言おうが、このままじゃダメだよと言おうが、もう、外部の人間は口出せないよね」
なんか、そういうことがあるんですって。
重ね重ね、このイベントが、どういう温度で行われているか、僕は分かりません。
伝統、組織、仲間。
こうした「大きな物語」「温かい絆」というものにどっぷり浸れて、夢中になれるっていう感覚は羨ましくもあると同時に、何かこう、薄ら寒いものを感じてしまうんですよね。
まあ、何というか、苦手だなって。