ついに到着新大久保!優勝するのはオラ達だ
明治通りへ続く地下階段を、さっきまでの余韻や疲労感に包まれながら、ゆっくりと、ゆっくりと昇り、朝日とともに家路へつく。
アニソンってなんて楽しいんだ!!
アニソンディスコさん、本当にありがとう!!
という興奮を胸に。
アニソンは耳で聴いて頭で楽しむものと思っていました。
そうではなく、全身で、浴びるように聴き、踊り明かして楽しむ。
もっとのめり込みたい、このドラマの一員になりたい。
僕らもアニソンで、みんなを楽しませたい!
そしていつか、アニソンディスコに出るんだ!!
それが、脂肪燃焼団の始まりでした。
「え?何でふたりでやるの?アニソンディスコみたいになりたい??
誰??それ????」
時は2012年です。
アニソンディスコさんが世間に見つかり、新木場agehaのBOXを任される7年前です。
僕らの夢はまだ、周囲からまったく理解を得られませんでした。
誰から共感されたわけでもない。競い合うライバルすらいない。
憧れの聖地から100キロ離れた場所。
途方もない夢への道のりを、近づいてるのか遠ざかってるのかも分からないまま、歩み続けてきました。
共演は何度かありました。
ハッキリと覚えているのが、2017年のアニソンディスコわーるどつあー静岡。
その日の出番は、皮肉なことに直前・直後でした。
アニソンディスコの皆さんは圧倒的なパフォーマンスでした。
今までラウンジで気ままに過ごしていた人たちまで巻き込んだアニソンディスコのパフォーマンスに。
僕は、アニソンディスコの前座すら務められなかったという事実を突きつけられ。
泣き出したくなる気持ちでいっぱいでした。
僕たち2人がですよ。
山梨で、法定速度を無視して、エンジンを焼き付かせながら時速120キロで追っかけているのに、アニソンディスコは時速500キロのリニアモーターカーのようなスピードで進化している。
それを目の当りにさせられました。
「あぁ、これは僕らみたいな凡人では、アニソンディスコのみなさんに、本編で共演するなんて無理なのかもしれない」と思わざるを得ませんでした。
隣を見たら相方のなずも「無理なのかもしれない」という顔をしていました。
このステージを見届けたら「辞めよう」って言おうかな。
そんな心境でした。
ただでさえ、楽しいことをしようと思っても辛いことの方が多いわけですよ。
その上「いつかユニラボの舞台に立ちたいよね」なんて夢まで叶わないなら、何を心の支えに続ければいいのか。
悔しいやら虚しいやら。
アニソンディスコの皆さんのステージをまともに見ていられず、僕はスマホをいじり始めました。
すると。
アニソンディスコ一色になったTwitterのタイムラインに、たった1人だけ。
僕らの舞台を気に留めてくださった人がいました。
あー、見つけちゃったなあ…。
僕らが新大久保のステージに立つなんて「100%」無理かと思ったけど。
もしかしたら…もしかしたらまだ、1%くらい、あり得るのかもしれない。
投げ出すにはほんの少しだけ早いのかもしれない。
言おうかな、と思っていた言葉は、ほんの少し我慢することにしました。
そのほんの直後です。
香港の皆さんから「きらわんのDJさん、香港でDJしてみませんか?」という、信じられないお話があり、僕らは「夢の舞台以上の夢の舞台」で迎えられることになります。
あのとき、Twitterで、ほんの1人の、ほんのふとしたつぶやきで、思いとどまって、思いのほかの経験をすることになるんだから、人生は面白いものですよ。
「いつか、アニソンディスコの本編に出てみたい」。
1、2%の希望を抱きつつ、6年2ヶ月。
7年目ですよ。僕ら。人並みに、色んな挑戦を続けて来ましたよ。
それにしても7年。
随分かかってしまったな、という気持ちもあります。
逆に、いざその瞬間になると、いやいやいやいやちょっと待って!よりによってユニラボの最後の1回に呼んでもらわなくても……もっとハードルの低いタイミングはなかったんですか…!という気持ちもあります。
しかし、1月のアニソンディスコ本編。
あるいは、新木場のリアニメーションさんの様子を見ていると、今が一番良いタイミングという気持ちもいたします。
どちらにも共通して言える、見どころ。
音楽と映像のコラボレーション。
我々脂肪燃焼団は映像でDJするVDJチームです。
そのジャンルなら、僕らは世間よりも一歩も二歩も三歩も四歩も!
先回っているという自信があります。
僕、ヘロウの大好きなアニメで言うところの。
ねーちゃん!あしたっていまさ!!
っていう心境ではありますよ。
よーし、ひと泡ふかせてやる!!
脂肪燃焼団は、 3月17日を、今から心待ちにしています。